遂にこの日が来てしまったか・・・
各誌の報じるところによると、杉内俊哉投手が今期限りで現役を引退されるそうです。
村田修一さんの引退に際してコメントが無いのが気になっていましたが、自身も思うところがあったからなのでしょう。
本当に好きな選手だと筆が進まないものなのですね。
ずっとその投球に注目してきて、書きたいことは山ほどあるはずなのに言葉が出てこない。
杉内投手の素晴らしい実績や能力に関しては、今更私がこの場で書かなくても大手各誌が伝えてくれると思います。
ですので、私のこの記事は杉内俊哉投手本人に贈るつもりで書こうと思います。
よろしければお付き合いください。
もくじ
1998あの夏が始まり
夏の甲子園でのノーヒットノーラン。
思えば最初に杉内さんを知ったときから、あなたは特別な輝きを放っていました。
甲子園で活躍する投手をこれまで沢山観てきましたが、ひと際印象に残ったのを覚えています。
同級生に松坂大輔という怪物がいましたが、私のなかではあなたも彼に勝るとも劣らない怪物でした。
高校野球とプロ野球の両方でノーヒットノーランを記録しているのは杉内さんただ一人。
本来ならもっとクローズアップされてもいい話題だと思うのですが、松坂大輔が話題を全部持っていってしまった。
松坂大輔投手に対するライバル心は、きっと私などの想像が及ばないくら大きいものなのだと思います。
日本代表に欠かせない左腕
プロ入りする前から各世代の代表に名を連ねてきた杉内俊哉投手。
国際試合での無双ぶりは、彼を語るうえで欠かせないと思います。
チーム全員が助っ人外国人のようなチームをバッタバッタと三振に切って取る。
これほど痛快な投球はありません。
その投球スタイルと佇まいはまさに侍でした。
特に2009年のWBCでは影のMVPともいえる活躍ぶり!
ヒットの一本すら許しませんでした。
MVPはライバルの松坂大輔がまたしても持っていきましたが、あの際立った活躍は今でも鮮明に目に焼き付いています。
マウンドに上がるとみせる、近づきがたい殺気のようなオーラ。
近年の投手でこういった独特のオーラを出す投手はほんの一握りなのではないでしょうか。
昨年頭角を現し、代表をけん引する左腕になることを期待された今永、田口両名は今共に苦しんでいます。
この事実が、いかにプロとして長く結果を残すのが難しいのかを物語っています。
長年埋まらない杉内俊哉の穴は代表にとっても大きな懸念事項なのではないでしょうか?
先発4本柱
斎藤克己、新垣渚、和田毅と共に形成した4本柱は他チームが羨む程の圧倒的なスタッツでした。
斎藤、和田、杉内と何処へ出してもエースを張れる投手が3人も同時にいたわけです。
この頃のホークスが盤石なのも頷けます。
絵にかいたようなエース斎藤克己投手。
日本球界でも瞬間最大風速は最高レベルでしょう。
ただ、彼は全盛期が本当に短かった。
ミスター安定感といったイメージの和田毅投手。
いい投手なんだけど、手が付けられないイメージはない。
年間を通して安定してくれるその投球は、現場からすると計算しやすく、そこが評価される所以なのでしょう。
杉内投手はというと、
隔年投手と揶揄され好不調の波は激しいものの、ハマった日は手が付けられない程のキレキレの投球。
ダルビッシュ有や涌井秀章と繰り広げた投げ合いは、プロ野球ファンなら鳥肌ものだと思います。
完璧に抑えたかと思えば年に数試合大炎上する大味な投球も、人間味があって魅力的に映りました。
クールにみえて実は誰よりも熱い闘志を秘めた投手。
近年の投手だと、則本昂大投手が最も近い雰囲気の投手なのかな。
斎藤がリハビリに入ると和田との2枚看板でホークスを支え続けた杉内投手。
そんな彼がまさか贔屓の巨人に来てくれるとは!
移籍が決まった当時の興奮は今でも忘れられません。
年棒はたったの5億円
杉内投手の年棒5億円が高いという話題がちょくちょく聞かれたことを覚えています。
いやいや、高くはない、むしろややお得でしょう。
私は一貫して杉内投手の年棒は妥当だと主張してきました。
本来であれば、彼のような球界屈指のレベルはFAで獲得できるものではありません。
それに移籍するにしても、近年なら皆メジャーリーグへ行ってしまうのです。
あの移籍はいくつもの偶然が重なって実現した奇跡みたいなものなのです。
実際杉内投手にメジャーに行く気があったのなら、これより遥かに高額な年棒を受け取っていたことでしょう。
3年連続2けた勝利
杉内投手の能力からすると当たり前のことなのですが、実際にこれができる先発投手がどれだけ貴重なことか。
当時から知るファンとしては巨人時代の投球は物足りなく映りましたが、事実を知って納得したのを覚えています。
私は正直圧倒的な杉内俊哉が観たかった。
2012シーズンこそ圧倒的な片鱗を残し、ノーヒットノーランを達成したりもしました。
しかし、球場で目にする彼は、試合は作るものの6回でいっぱいいっぱいの投球が続く日々。
なんでなんだという思いで何度もその投球を目にしていました。
ある時、報道がきっかけで驚愕の事実を知りました。
右股関節の慢性的な痛みから、ジョギングもままならないような状況で彼は毎週投げ続けていたのです。
事実ならローテーションで投げれているのだってとんでもないこと。
普通の人なら立って歩くのだって辛いような状態で、3年半ローテに穴を開けず規定投球回をクリアしていたのです。
自力が違うと言ってしまえばそれまでですが、これは今年の山口俊投手よりいい成績を手負いの状態で続けていたことになります。
こう考えるとどれだけ凄いことだったのかがわかっていただけるんじゃないかな。
最後の1軍登板となった2015年7月21日の阪神戦。
これまで完璧に抑えていたカモともいえる鳥谷敬に痛打された場面。
体が限界だったのでしょう。
祈るような思いで試合を見守っていた私も、この鳥谷に痛打されたことで何かを悟りました。
2日後発表された『杉内俊哉登録抹消』
その日から巨人戦を観ても心にぽっかり穴が開いたような感覚だったのを覚えています。
球界最高の大減俸を自ら申し出る
リハビリに入った年が、ちょうど契約が切れるというタイミングでした。
後半を棒に振ったとはいえ、これまでの貢献度が抜群だった杉内投手。
私は、現状維持か微減と予想していたので、そのニュースが流れた際には度肝を抜かれました。
5億から5千万円へ
年棒1/10です。
しかも自分から球団に願い出たとのこと。
今に思えばこの時から選手生命に関わる長い戦いになると覚悟を決めていたのでしょう。
移籍当時、金の亡者なんて批判もあったそうですが、杉内投手の場合は力に見合う正当な金額を純粋に望んでいたのだと思います。
そして、その力が無いのなら自分から減額を申し出る。
冷静にプロフェッショナルとして自身の価値を主張しているプロ中のプロ
私の目にはそう映りました。
正当な金額を申し出ることは、金の亡者とは全く異なる行為だと思います。
ファンとしても、一進一退のリハビリ情報に目を向けてきました。
オープン戦で古巣ホークス相手に投げれたときはあと少しだと心躍ったのですが・・・
結果的には、股関節をかばったためか、左肩まで痛めてしまい復帰が遠のいてしまいました。
日常生活で怪我をしても、意識的にその部位をかばった動きをしてしまうもの。
プロの投球ともなるとその負荷は想像を絶するものなのでしょう。
⇒【杉内俊哉】現在の最新情報!引退の区切りは40歳?1軍マウンドへの復帰はあるのか?
若手にアドバイス
こういった報道が頻繁になされるようになってから、引退は近いのだろうなと薄々は感じていました。
ただ、孤高の天才というイメージの杉内投手が、積極的にアドバイスをするというのは正直意外でしたね。
若手とはいえライバル。
私の勝手なイメージだと、杉内さんは若手など我関せずだと思っていたので最初は驚きました。
どうやらアドバイスはとても適切なのでしょう。
おかげで巨人の若手左腕はみんな順調に育ってきています。
もちろんコーチ陣の働きあってのことだとは思いますが、杉内投手がチームメートとして関わってくれるのは若手にとって物凄く有益なことなのでしょう。
希望としてはこのままずっと巨人に残って、第2の杉内俊哉を育成してもらいたと願っています。
杉内俊哉の輝かしいプロ生活
杉内俊哉さんは紛れもなく球史に残る大投手でした。
通算142勝77敗
通産勝率.648はまさに負けない大エース
通算防御率も2.95と2点台、2091イニングスを投げてのこの数字は超一流の証でしょう。
積み上げた2156の奪三振
総なめにした投手タイトル。
特に奪三振能力の高さと、流れるように綺麗な投球フォームは圧巻でした。
平成の終わりと共に巨人軍栄光の18番がユニホームを脱ぎます。
巨人|杉内俊哉現役引退!素晴らしい投球と感動をありがとう! おわりに
延々と書いていったらいつまで経っても終わらないので、この記事はここで閉じたいと思います。
怪我さえなければ余裕で200勝達成していた投手だと思うので残念ですが、そんな数字以上に大きなインパクトを残しての引退だと思います。
なお、来年以降も私は引き続き背番号18で現地観戦すると思います。
現役を退かれても私のヒーロであることに何ら変わりはありませんので
この記事を閉めにかかって、本当に引退してしまうんだなって実感が湧いてきました。
願わくばもう一度東京ドームのマウンドで三振を奪うところが観たかった。
引退試合があるなら必ず駆けつけて感謝の気持ちを直接伝えたいと思います。
何度もあなたの投球に勇気づけられたと・・・
最後に、
杉内俊哉投手17年間に及ぶ現役生活本当にお疲れさまでした(T_T)
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